八木山橋 [99-108] は仙台名所の1つ。
昭和6年11月架設、深さ70メートルの龍の口渓谷をまたぎ、青葉城址(天守台)と八木山を結ぶルート上に架かる橋。長さ107メートル、幅3.7メートルで、宮城県下一のつり橋だった
八木山観光ルート開発のため、八木久兵衛氏(仙台の味噌醤油製造業「紅久」経営者で、八木山の所有者)が私費を投じて架橋し、仙台市に寄付した。
架橋に先立ち、昭和4年6月23日には八木山球場、八木山遊園地も八木久兵衛氏により建設される。(「重訂 宮城県郷土史年表」P415)
昭和6年11月には八木山球場で、アメリカ大リーグ選抜対明治大学チームの日米野球試合が行われた。(「重訂 宮城県郷土史年表」P428)
橋入口両側には「自殺防止をよびかける」立札 [53-21] があった。昭和12年に南光院丁の飲食店に勤める女性がこの橋から初めて投身自殺し自殺の名所となったためと伝えられた。(「仙台年表」P208)
昭和37年にコンクリート橋へ架替工事が開始され、昭和40年に完成。
『仙台老舗百店史』P194~195「紅久」 より
天明3年(1783)から芭蕉の辻にあった紅・小間物商「紅久」が、明治16年、味噌醤油の醸造、販売も始め繁盛して得た資金で八木山を入手、八木山橋、野球場を建設し市に寄贈、また寄贈した土地には昭和40年に仙台市が八木山動物園を建設した。