藩政時代から「奥州街道」として仙台を南北に貫く幹線道だった。大町通りと交差する「芭蕉の辻」[98-020] 付近は、城下一の繁華街で、明治時代も国分町は仙台の商いの中心地だった。[44-19]
戦前期は、芭蕉の辻を境に北が「国分町」[20-20] 、南が「南町」[53-95] だったが、現在(1996年)は、北四番丁角から南町通り角まで全体が「国分町通り」である。
なお、「芭蕉の辻」の写真は、【A-03】に分類した。