分類項目 | 天守台 |
タイトル | 天守台の昭忠碑(1) |
写真番号 | 99-112 |
場所 | 仙台市天守台 |
映像内容 | 絵葉書「(仙臺) 在舊天主台)」 / 「昭忠碑」は、明治35年11月23日に、西南戦争や日清戦争などに従軍した陸軍第二師団所属の戦没者に対する慰霊顕彰碑として、天守台(天主台、青葉城本丸跡)に建立された / 明治34年に陸軍大演習統監のため来県された明治天皇から100円を下賜され建てられた( → 関連情報欄参照) / この大演習は「ロシア軍が日本に上陸」を想定したものだった / ゴシック式の高塔で、頭頂に「金鵄」(キンシ 関連情報欄参照)を戴く / 太平洋戦争中の金属回収では、同じ天守台にあった政宗卿騎馬像 99-116 は供出されたが、この金鵄は対象にならなかった(瀬川満夫「ふるさとの昭和史」P35) |
撮影年代 | 1902年(M35)~1920年(T9)10月の間 |
撮影年代判定根拠 | ①建立年 / ②絵葉書 99-079 (大正9年10月以前撮影)と同じ組絵葉書 |
関連情報/参考文献 | <金鵄(キンシ)> 日本書紀において神武天皇の軍を勝利に導いたとされている金の鵄(トビ) 【「重訂 宮城県郷土史年表」P326】 → 「碑は、陸軍大臣西寛二郎の意匠にして、東京美術学校にて鋳造、工費総額2万4033円」 【「ふるさとの昭和史」(「新仙台」案内記)P35】 →逸見英夫「明治34年、第二師団と第八師団(弘前)合同の陸軍大演習が宮城県下であり、昭忠標は、その演習の際に明治天皇から100円を下賜され建てられた」 <組絵葉書> この絵葉書99-112と 99-079 、 99-137 、 99-138 、 99-141 は、宛名面と写真面のレイアウト、キャプション(形式、字体、色)のスタイル、紙質、印刷の質感が同じ |
備考 | 【「東京の近現代を歩く」P68】「日清戦争では、第二師団は行政ルートを通じて軍夫を募集し、補給部隊に94%の軍夫を雇うだけでなく、戦闘部隊にも26%の軍夫を加えていた。」 |
カラー/モノクロ | モノクロ |
分類内の通し番号 | 1 |
画像ファイル名 | sendai6068 |