写真データベース
名掛丁(駅前通り角) (大正時代)
名掛丁(駅前通り角) (大正時代)

分類項目 名掛丁・新伝馬町 
タイトル 名掛丁(駅前通り角) (大正時代) 
写真番号 99-029 
場所 仙台市
映像内容 絵葉書「(仙臺名所) 名掛町停車場前通り」 / 停車場前通り(仙台駅前通り)から見た名掛丁商店街(奥が西方向) / 手前の道の様子から、市電未開通(昭和2年11月以前)の時代 / 大八車や馬を曳く人も見える / 中川時計店前の人が背負う束は木の枝か? / 洋服姿はいない / 右側商店は、中川時計店、京屋(呉服?)、浅草寿司支店
/ 店舗配置図(大正末期~昭和初期)(川めぐり会) 98-137 には中川時計店と京屋は掲載あり、左角(中川時計店向かい)は、玉沢本店となっているが板塀でよく分からない
撮影年代 大正時代 
撮影年代判定根拠 電柱(電話柱?)の腕木本数から、明治末か大正時代ではないか
関連情報/参考文献
備考 <宮城野区・丹野邦夫さん(大正12年生まれ) 「名掛丁、新伝馬町 昭和初期の思い出」>                                       「大正12年名掛丁66番地に生まれました。家業は洋家具製造販売、現在(1996年)の常陽銀行向いでした / 北東隣は「多楽茶屋」という飲食店で通路には馬を繋ぐ「くい」が何本もあり、岩切、原町方面からの農家の方々の休み処となっており、座敷に上がらなくても片側は縁台になっていて、そこに腰かけて飲食していたようです。当時の名掛丁と新伝馬町との境の場所でした / 道路の舗装工事は昭和2~3年頃と思います。それまでは、盆火を直接道路で行いましたが、コンクリート舗装になってからは、かがり火を焚く鉄製の(ものがあり)1m位の高さで迎え火を焚いたのを覚えております / 道には市街バスが走り、農家の馬車、荷車、歩兵四連隊の歩哨交代の列が青葉山の第二師団司令部まで通行したものです / そのころコンクリート舗装は貴重なものだったらしく、週1回か月何回か、商店総出で水を撒いて掃除したことを覚えています」 
カラー/モノクロ モノクロ 
分類内の通し番号
画像ファイル名 sendai3009 
写真とデータを印刷