分類項目 | 米軍進駐 |
タイトル | 客車から地上へ降りる米兵たち(2) |
写真番号 | 90-11 |
場所 | 仙台駅 |
映像内容 | 日本の客車(当時の三等車)で移動し仙台に着いた兵士たち / 仙石線で到着 / 白い腕章を巻いた日本人は通訳 、左の日本人は鉄道職員 / 客車にパンタグラフがついているので、仙石線(旧宮城電鉄) |
撮影年代 | 1945年(S20)9月23日 |
撮影年代判定根拠 | 写真90-01のクレジットより |
関連情報/参考文献 | <米軍の宮城県進駐の概要>は、 (1)「写真データベース」の 【解説】H-29米軍進駐 (2)「仙台よみとき用語年表」の項目「進駐軍(米軍)」 |
備考 | 米軍撮影動画FILM(パブリックドメイン)より抜き焼き <青葉区・武沢 豊さん(大正15年生まれ)の記憶 > (1) 「敗戦直後、仙台上空に米軍機飛来> 昭和20年8月15日(玉音放送の日)か翌日だった。 昼間仙台上空を米軍のグラマン機が沢山飛行した。 プロペラ機だった。空母から飛んできたのだろうか。 私は国鉄仙台駅の職員だったが、その日は勤務明け(あけ番)で西口広場にいたら、何十機も飛んできた。示威行為だったのだろうか。 機銃掃射の心配がなく逃げなくて良いので、みんなが外に出て眺めていた。」 (2) 「米軍仙台進駐」 「昭和20年、私は仙台駅の改札係りだった。(1年半やっていた) 米軍が(国鉄で)進駐してきた初日に改札をしていた。完全武装で列車に乗ってきた兵隊たちが仙台で仙石線に乗り換えて苦竹へ向かったと思う。 その時、米兵から「ユー・スピーク・イングリッシュ」などと話しかけられた。米軍には日本人二世の通訳がいた。」 |
カラー/モノクロ | モノクロ |
分類内の通し番号 | 11 |
画像ファイル名 | sendai12011 |