分類項目 | 黒沢中将葬列 |
タイトル | 黒沢準中将の葬列(1) |
写真番号 | 87-06 |
場所 | 仙台市北六番丁 |
映像内容 | 仙台出身の黒沢準(ひとし)陸軍中将が昭和2年(1927)9月5日死去(享年50) / 葬列は仙台市北六番丁の黒沢邸前 / 左下に四ツ谷用水が写る / <経歴> → 関連情報欄に |
撮影年代 | 1927年(S2)9月12日 |
撮影年代判定根拠 | <写真提供者からの情報> |
関連情報/参考文献 | <経歴>【朝日日本歴史人物事典】「黒沢準」(明治11年8月9日~昭和2年9月5日) 明治大正期の陸軍軍人。宮城県出身。明治31年陸軍士官学校、40年陸軍大学校を卒業後、43年から3年余ロシアに駐在、その後参謀本部員。 第1次大戦では独立第18師団参謀として青島攻略に参加。シベリア出兵(1918年)に際しては大佐で諜報担当の関東軍兵站参謀長、チタ特務機関長を務める。 大正9年参謀本部作戦課長。 陸軍有数の戦術家といわれ、大正11年陸軍省軍事課長、同12年少将となり参謀本部第1部長、歩兵第37旅団長、参謀本部総務部長など歴任。昭和2(1927)年休職。 死去後に中将に進級。 |
備考 | |
カラー/モノクロ | モノクロ |
分類内の通し番号 | 1 |
画像ファイル名 | sendai13099 |