写真データベース
大黒屋商店 (外観と家族)
大黒屋商店 (外観と家族)

分類項目 商店など 
タイトル 大黒屋商店 (外観と家族) 
写真番号 76-17 
場所 仙台市東二番丁
映像内容 看板に「図書館前」とあるが、定禅寺通りをはさんで旧宮城県図書館(戦前)と向かい合っていた(当時の住所は東二番丁85) / 運動着、鉢巻、帽子を仕立てて販売 / 当時同じ商売は、市内に2~3軒しかなかった / 建物は長屋で7軒位入っていた / 定禅寺通りに面して、今(1995年現在)の141ビルの場所にあった / 各種白衣、運動服装、野球庭球ユニホーム、カフェー服装、ランニング洋品
撮影年代 1927年(S2)頃 
撮影年代判定根拠 <写真提供者からの情報>
関連情報/参考文献 「東北産業博覧会記念写真帖」(昭和3年)の掲載写真とほぼ同じ / 大黒屋(東二番丁)は、1885年(M18)創業、戦前は運動着や祭り衣装の半股引(ハンダコ 仙台大崎八幡宮のどんと祭用)を製造販売。店舗は仙台空襲(1945年7月)で焼失。 戦後は二日町に移り、2020年現在は(株)ダイコクヤとして、業務用ユニホーム(看護師用、レストランなど)、お祭洋品などを扱う。
備考 <青葉区・青山モト子さん(大正8年生まれ)の体験> 「私は、東二番丁85番地の「大黒屋(運動着店)」の生まれで、戦前までそこに住んでいました。(定禅寺通りに面した、今(1996年)の141ビルのあたり)/ 定禅寺通りを挟んで、向かいが(空襲で焼失した)旧県立図書館でした。                                       
 <防空演習・家財の疎開> 戦時中、(旧)図書館の構内では、町内(隣組の人たち)の防空演習をやりました。防空演習は、水をかけたり屋根に上ったりしました。/ 東二番丁小学校では竹やり訓練もやりました。/ 長屋に入っていた店(兼自宅)は仙台空襲で焼失しましたが、写真は北山のおばの家に疎開させて残すことができました。 バスも車もなかったので家財はすこしずつ持って行った。タンスはカラにして古い綿を詰めて、愛子(あやし)の知人の家まで荷車を曳いて運び預けました。 戦後、その綿でフトンを作りました。そのタンスはすっかり古くなりましが捨てられずに今も使っています。」 
カラー/モノクロ モノクロ 
分類内の通し番号 36 
画像ファイル名 sendai5106 
写真とデータを印刷