分類項目 | 宮城県庁 |
タイトル | 養賢堂(2) |
写真番号 | 53-54 |
場所 | 仙台市 |
映像内容 | 藩政時代、仙台藩の学問所だったが、明治時代に宮城県庁として使われた(大正4年の新庁舎建設以降にも使われた) / 標柱の字は「史蹟 舊養賢堂」(大正11年3月、史跡に指定) / 仙台空襲(昭和20年7月)で焼失 / 右は、養賢堂に隣接して建てられた大正期の宮城県庁舎(木造2階建て)で、1915年(T4)~1931年(S6)まで使われた / 養賢堂、大正の木造庁舎、昭和6年からの洋風庁舎の位置関係は、 98-055 |
撮影年代 | 1915年(T4)~1931年(S6)の間 |
撮影年代判定根拠 | 木造県庁舎が使用された期間 |
関連情報/参考文献 | 【「古写真に見る仙台の建築(東北大学建築学報第34号)」P41】 養賢堂は1817年(文化14年)建築、木造平屋・東西24間南北24間・桟瓦葺、戦災で焼失 / <参考>【「宮城県百科事典」P1076 養賢堂】 |
備考 | 撮影)森権五郎 <宮城野区・朝比奈フクさん(大正7年生まれ)の思い出 「養賢堂が遊び場でした」> 「私は2歳から7歳まで宮城県庁構内の官舎で暮らしました。 父が知事の運転手で、仕事上の都合からです。 県庁構内にあった養賢堂の長い廊下で遊びましたし、この周辺には思い出がたくさんあり過ぎて、懐かしさでいっぱいでございます。 養賢堂の前に杉の大木がありまして、キツネが出ると油揚げを置いてありましたし、薬になる?石があって、誰かが石を削って持ち帰ったり、官舎の横には大きな馬場がありまして馬に乗せていただきました。」 |
カラー/モノクロ | モノクロ |
分類内の通し番号 | 3 |
画像ファイル名 | sendai5003 |