分類項目 | 昭和20年代の動き |
タイトル | 中ノ町の戦災者住宅 |
写真番号 | 44-51 |
場所 | 仙台市 |
映像内容 | 橋は大橋、対岸は川内地区 / 手前は、西公園と広瀬川の間にあった戦災者(引揚者もか?)向けの住宅か? / 現在(1996年)の仙台市民プールの場所 / または、昭和25年ころ強制代執行された不法占拠建築物か?(同じ形の数棟が整然と並んで建てられているので、土地の不法占拠住宅とは考えにくい) / 大橋を渡った左側(戦前の追廻練兵場跡)にも戦災者むけ、引揚者むけの追廻住宅がつくられた(昭和21年に620戸) |
撮影年代 | 1947~51年(S22~26)頃か |
撮影年代判定根拠 | 内容欄参照 |
関連情報/参考文献 | 【「仙台市史続編1」 P350】 → 「仙台商業学校跡地(上杉山通り)と西公園には、戦災応急対策として建設した市営住宅60棟があった」 【「仙台市史続編1」P347~8】 →「中町の不法占拠住宅」と記載 【「仙台市史 特別編4 市民生活 P160~161 「戦災と復興」】 →戦後の応急住宅の記述あり 【「戦災復興余話」P48~49】 → 中ノ町(西公園予定地)での住宅強制代執行の記述あり |
備考 | 松本祐昌さん談(1996年6月9月)「追廻には引揚者、戦災者用の市営住宅、また台原には樺太からの引揚者専用のバラック住宅があった。」 <参照> 当サイト内「仙台よみとき用語年表」の項目「戦災・引揚者用住宅」 |
カラー/モノクロ | モノクロ |
分類内の通し番号 | 30 |
画像ファイル名 | sendai12132 |