分類項目 | 東一番丁(南部) |
タイトル | 東一番丁(大通り 昭和21~22年頃) |
写真番号 | 44-33 |
場所 | 仙台市東一番丁(大通り) |
映像内容 | 奥が南方向 / 道の右側のビルは、手前から旧「大一楽器」(窓が見える)、旧「文化キネマ」(小窓3つ)、一番奥は「日本生命館」(南町通り角、上が尖ったビル) / 道の左側にパーマネントの看板 / 戦後まもなくの東一番丁は、仙台空襲(昭和20年7月)で焼失後急ごしらえのバラックの店が並んだが、露店や戸板1枚に品を並べて売る人も多かった / 「文化キネマ」は仙台空襲で外壁を残して焼失した。戦後は昭和25年12月に「文化劇場」(写真 18-04 )として再開なので、このころはまだ焼けビルのままなのかもしれない |
撮影年代 | 1946年(S21)~1947年(S22)の間 |
撮影年代判定根拠 | 撮影した進駐軍MPのベラードが仙台にいたのは昭和20~22年 |
関連情報/参考文献 | その後の文化劇場付近は、写真 16-42 (昭和25年)、 18-04 (昭和28~29年頃) <撮影者ベラードさんについて(写真提供者・逸見英夫氏談)>「敗戦後、仙台に進駐した米軍憲兵(MP)で、CID(米軍犯罪捜査機関)に勤務。ベラード氏撮影の写真は、当時日本人警察官としてベラード氏と仕事で一緒だった小野寺義男氏(のち、仙台北警察署長)が、のちにベラード氏に依頼して取り寄せた」 <参照> 「宮城県の昭和史 下巻(毎日新聞社)P159~165」に、ベラード氏について小野寺氏の思い出とベラード氏撮影写真の一部が掲載されている |
備考 | |
カラー/モノクロ | モノクロ |
分類内の通し番号 | 19 |
画像ファイル名 | sendai102 |