分類項目 | 戦時下の子ども・生徒・学生 |
タイトル | 小包を配達する旧制二高生 (学徒勤労動員) |
写真番号 | 16-73 |
場所 | 仙台市 |
映像内容 | 家庭に配達 / 学帽に学生服 / 帽子の校章が旧制第二高等学校(仙台市)の「蜂のマーク」とおもわれる / 学生の胸ポケットの蓋に縫い付けた白い布には、名前と血液型が書いてある |
撮影年代 | 1944年(S19)~1945年(S20)夏 |
撮影年代判定根拠 | 本格的な学徒勤労動員は昭和19年春以降 |
関連情報/参考文献 | <参照> 「宮城県百科事典」(1982年 河北新報社)P177「学徒動員」 <参照> 当サイト内「仙台よみとき用語年表」の項目「学徒勤労動員」 <参照> 当サイト内「仙台よみとき用語年表」の項目「戦時下の学園」に、仙台の公私立中等学校(戦前の中学校、高等女学校、実業学校など)各校の学徒勤労動員が具体的に記述されている |
備考 | <学徒勤労動員の記憶> 佐々木一太郎さん(昭和4年生まれ、二十人町)談「太平洋戦争の戦況が苦しくなった頃、仙台商業学校生だったが、長町の萱場製作所に動員され、毎日オートジャイロを作っていた。」 益田勝児さん(産婦人科医 1996年)談「仙台一中生時代、4~5年生が昭和19年4月~20年6月に苦竹にあった陸軍造兵廠で榴弾砲や飛行機の機関砲の製造に従事。朝8時から10時間勤務で、その日は学校の勉強はなかった。中学は3月に繰上げ卒業だった。東北帝国大学生、旧制二高生、気仙沼中学生、涌谷と陸前高田の女学校生徒もいた。遠い人たちは、中江などの寮に泊まって合宿して通っていた。」 |
カラー/モノクロ | モノクロ |
分類内の通し番号 | 5 |
画像ファイル名 | sendai11004 |