G-7 仙台空襲 | N.F. さん
時代 |
昭和20年7月 |
関連する写真番号 |
53-76 |
<火の海の熱風をかいぐぐった>
空襲は結婚してまもなくで、その時お腹に長男が入っていた。 住んでいた柳町は火の海になり熱風がすごかった。 夜中だった。 焼夷弾が不発で周りに落ちてくる中をくぐって、東北学院の奉安殿まで逃げた。(奉安殿には天皇皇后がおられるから大丈夫かとおもい行ってみた) 一兵壕(イッペイゴウ、タコツボでひとり用)が校庭にあったので一人ずつ入った。
飛行機の音が聞えなくなったので、一兵壕から顔をだして、家族も安全だったことがわかった。顔は煤けていた。向かいの宮城学院の建物は焼けていた。東北学院の建物は焼けなかった。焼けたら私も死んでいた。 翌朝になったら、周りはすっかり焼け野原で、まだ熱かった。焼け野原の向うに市役所の建物が見えた。
<我が家の防空壕で近所の夫婦が焼死>
うちの爺さんは気丈だから、柳町の自宅の焼け跡へいってみた。自宅の敷地の防空壕をのぞいてみたら、中の米も書類も蒸し焼き状態。 入る前に水(便所の小便の水)をかけて入ったら、3軒裏にいた老人夫婦が壕の中で亡くなっていた。 柳町の人たちやまわりの人たちは評定河原の横穴へ隠れたりしたが、河原に逃げた人は上から見えて焼夷弾でやられて亡くなった人が多かった。
参考 |
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情報提供者 |
N.F. |
性別 |
女 |
生年 |
1924年(T13) |
住所 |
不明 |
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ID |
244 |
分類 |
G-7 仙台空襲 |
サブ番号 |
6 |