思い出・時代の記憶
G-6 戦時体験(銃後のくらし) | 氏名記載なし
時代 昭和20年8月 
関連する写真番号 91-03 
<国鉄に優遇された陸軍幼年学校受験生>
 どこの駅でも、切符を買って汽車に乗るためには、並んで行列を作って何日も待ったものだったが、私は、昭和20年8月16日(終戦の翌日)、当時13歳で、陸軍幼年学校受験のため田舎から東北本線に乗って仙台に来る時、田舎の駅で、陸軍大臣発行の「幼年学校受験生」の証書(卒業証書位の大きさだったと思う)と、「幼年学校受験生」の腕章を見せたら、並んで待つことなく、すぐに汽車に乗せてもらった。  翌々日の18日、仙台駅から汽車に乗って帰る時も、行列に並ぶことなく、すぐに乗せてもらった。切符は買わなかったと思うし、駅長室のようなところに案内されて汽車が来るのを待った覚えがある。 満員の市電に乗る時も、兵隊さんがのせてくれた。

<米機が撒いたビラ 憲兵が回収>
 アメリカ(?)の飛行機がビラ(内容は見ていないので分からない)をまいて飛んで行った。 サイドカーにのった憲兵がそれを回収していったのが印象に残る。 町は焼け野原で水道管から水が流れているところがあり、そこでのどをうるおして街を歩いたこともある。
仙台駅前に長時間並ぶ人の列(1)
91-03 | 仙台駅前に長時間並ぶ人の列(1)
参考 【写真説明】
91-03 は、敗戦翌月の昭和20年9月24日撮影。仙台駅舎が仙台空襲(昭和20年7月)で焼失したため、急造されたバラック建ての駅舎。列車本数が極端に少なくなり、連日このように切符を買い求める長蛇の列ができていた。

編者注: 陸軍幼年学校は将来の将校候補者を教育、受験資格は学歴不問、13歳から15ないし16歳までの年齢制限のみ。

【「宮城県百科事典」P613】 → 「仙台地方幼年学校が明治30年に榴ケ岡に開校、軍縮で大正13年4月に廃校となる。 昭和12年に「仙台幼年学校」として復活。 昭和13~20年(終戦まで)、三神峯(みかみね)におかれた。」 
 
情報提供者 氏名記載なし 
 性別
 生年 1933年(S8)
 住所 不明 
 
ID 236 
分類 G-6 戦時体験(銃後のくらし) 
サブ番号 27 
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