思い出・時代の記憶
G-5 軍都・兵隊相手の店 | T.H. さん
時代 戦前 
関連する写真番号 34-30 
<軍の強い要請で大橋を架け替え>
大橋の鉄橋はそうとう傷んでいて、軍の大砲や戦車が渡れない。いざというときのために丈夫な橋を作れと命令?でコンクリート橋に架け替えられ、昭和13年完成した。戦後に国際センター建設の際に橋の調査をしたら、まだ十分大丈夫という結果がでた。大橋と同じ時期に、霊屋橋、愛宕橋も架け替えられた。

<戦況が不利なことは感じていた>
東京で友人が内務省に出入りしていて、戦局不利ときいていた。当時は、死ぬことは国を守るには当たり前と考えていた。 慰霊祭を見ても国力と比べ戦争はやりすぎだったのではという気がする。 私は軍通(軍司令部特別伝達連隊)だったので、情報が入ってくるので、仙台空襲の情報は知っていた。
大橋(コンクリート橋)と広瀬川
34-30 | 大橋(コンクリート橋)と広瀬川
参考 ききとり(1996年4月10日)
 
編者注: コンクリート橋になったのは、大橋は昭和13年、霊屋橋と愛宕橋は昭和10年。 
 
情報提供者 T.H. 
 性別
 生年 1924年(T13)
 住所 青葉区 
 
ID 209 
分類 G-5 軍都・兵隊相手の店 
サブ番号
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