思い出・時代の記憶
G-3 戦没者帰還・慰霊祭 | T.H. さん
時代 昭和19年 
関連する写真番号 16-61 
<兵隊にいったら生きてはかえれないと覚悟>
  「ガ島慰霊祭」(昭和18年7月)の時は19歳で、東京で仕事のため仙台を離れていたが、「アッツ島玉砕の慰霊祭」(昭和19年)の時は、兵隊検査で帰仙しており、遠くから見た。 第二師団は激戦地にばかりに向けられていた。 俺も兵隊に行ったら生きて帰れないと思った。
ガダルカナル島戦没兵の慰霊祭(5)(弔辞を述べる)
16-61 | ガダルカナル島戦没兵の慰霊祭(5)(弔辞を述べる)
参考 ききとり(1995年)

【写真説明】 16-61
太平洋戦争ガダルカタル島戦で戦死した第二師団兵士の慰霊祭(昭和18年7月31日 追廻練兵場で) 。 祭壇に積まれているのは、戦死者の骨箱。

編者注: アッツ島玉砕は1943年(S18)5月29日だが、仙台関連部隊がアッツ島に派遣された記録は、「宮城県史7の兵事」「重訂宮城県郷土史年表」「仙台市史年表」「宮城県百科事典」などの諸文献には見当たらない。海軍に所属した仙台や宮城県出身者の中にアッツ島戦死者がいた可能性は否定できないが。 
 
情報提供者 T.H. 
 性別
 生年 1924年(T13)
 住所 青葉区 
 
ID 196 
分類 G-3 戦没者帰還・慰霊祭 
サブ番号 11 
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