思い出・時代の記憶
F-6 ラジオの思い出 | T.T. さん
時代 昭和6年~8年頃 
関連する写真番号 67-01, 67-02, 68-01, 68-02, 68-03, 68-04 
<戦前、姉妹でラジオドラマに出演しました>
 私は旧姓藤崎で女六人姉妹の末っ子です。 藤崎家は昭和2年から青葉荘に住み、局(注:NHK仙台局)とは背中合わせでしたので、局のできるころから見ておりました。(注:NHK仙台局は昭和3年開局) (中略)  姉妹のうち3番目の志鶴、4、5番目の双子(貞子、淑子)と末の私(豊子)の4人が、仙台放送局(JOHK)の「HK子供会員」として時々ラジオドラマで出演しました。

<急きょ、穴埋め出演したことも>
   昭和3年に開局(放送開始)から数年しか経ってなく、放送はすべて生放送でした。 子供会で出る他にも、東京から(仙台局へ電波の)受信状態が思わしくない時、「御嬢さん方お願いします」と声がかかり、家の本棚から児童文庫を持参して童話を読んで「子供の時間」を埋めたことがあります。 淑子は特に読むのが上手でしたし、皆ピアノも弾けたのでいろいろ利用されました。

<ドラマ伴奏は文化キネマの楽団員>
  上杉小学校はNHKに近いのと伊藤博先生の関係で「HK子供会」は殆ど上杉の児童だったようです。 また、刈田仁様や文化キネマの音楽の方々(大通りの映画館「文化キネマ」の楽団員)は出演の常連でした。 「HK子供会」では、(西公園にあった)公会堂でも何かやったこともありました。 志鶴姉の方は師団の軍人さんと大人の番組に出たこともあります。

<初代の川崎アナウンサー>
 淑子姉は子供会で秋保に遊びにいったこともあると申しておりました。 JOHKの最初の放送をした川崎アナウンサーはよく双子の姉たちを連れて出かけ、松島などに行ったりしていました。 五色沼でスケートもなさいました。

<戦災で我が家は焼失>
昭和二十年の戦災で焼けてから土地は局(NHK)に売りましたが、筋向いの石原謙さまの家だけ焼け残りました。 (中略) 古き良き時代の一ページとしてお読みすてください。 (写真提供時の書簡 1995年12月12日 記)
NHK仙台局ラジオ児童劇「謎が関」出演者たち
67-01 | NHK仙台局ラジオ児童劇「謎が関」出演者たち
NHK仙台局ラジオドラマ出演者と効果音道具
67-02 | NHK仙台局ラジオドラマ出演者と効果音道具
NHK仙台局ラジオに出演した女学生たち(常盤木学園生)
68-01 | NHK仙台局ラジオに出演した女学生たち(常盤木学園生)
NHK仙台局ラジオドラマ出演者(1)
68-02 | NHK仙台局ラジオドラマ出演者(1)
NHK仙台局ラジオドラマ出演者(2)
68-03 | NHK仙台局ラジオドラマ出演者(2)
NHK仙台局ラジオドラマ 出演者と演奏者
68-04 | NHK仙台局ラジオドラマ 出演者と演奏者
参考 写真はいずれも、昭和6~8年に仙台局のスタジオで撮影されたもの。

編者注: NHK仙台放送局が昭和3年に東北で初のラジオ放送を開始。 東京からの放送を受けて流すほか、仙台局からも独自の番組を放送した。すべて生放送だったが、ラジオドラマには、「HK子ども会員」が出演、伴奏は映画館「文化キネマ」の楽団員たちが担当した。(仙台局のコールサインJOHKから、仙台局の愛称はHK) 
 
情報提供者 T.T. 
 性別
 生年 不明
 住所 太白区 
 
ID 163 
分類 F-6 ラジオの思い出 
サブ番号
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