【解説】H-29 米軍進駐

H-29写真の内容

1945年9月23日に仙石線で仙台に到着した兵士たち(第11空挺師団)が、到着後、いったん地上に降りて他の線の列車に乗りこむ場面。

写真はすべて、米軍撮影の動画Film(パブリック・ドメイン)映像から、抜き焼き。映像内容の解読は、氏家一郎氏(仙台郷土研究会)に協力・監修いただいた。(1995年)


米軍の仙台進駐

敗戦後、連合国軍(大部分は米軍)が日本を占領。占領当初、東日本の占領は米軍第8軍が担当し、新潟を含む東北地方には第8軍指揮下の第14軍団が進駐、軍団司令部が仙台に置かれた。

宮城県に進駐したのは14軍団に属する「第11空挺師団」だった。宮城県への進駐は1945年(昭和20年)9月半ばから始まり、艦艇で塩釜港から上陸する他、特別列車で続々と到着、9月26日までに約1万名に達した。

進駐軍は、仙台(川内の第二師団跡)、榴ケ岡、苦竹、多賀城、松島のほか、塩釜、石巻、古川、船岡などに駐屯したが、数の上では、仙台の苦竹(陸軍造兵廠跡)と多賀城(海軍工廠跡)に駐屯した兵士が圧倒的に多かった。

昭和32年11月には最後まで残っていた川内と苦竹が返還され、宮城県内の米軍基地は姿を消した。

*以上は、【「仙台市史 特別編4 市民生活」の「8 占領軍とキャンプ」P324~329】から要約。

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