G-26には、第二師団の司令部と、仙台におかれた各部隊の兵営と病院の写真(主として絵葉書として発売されたもの)、兵営の位置(地図)がある。
在仙した陸軍部隊
明治4年、全国四鎮台のひとつとして仙台城二の丸跡に東北鎮台がおかれ、その後、明治6年に仙台鎮台、明治21年に第二師団と改称された。師団司令部や各兵営(連隊や大隊)、練兵場が、川内地区や榴ケ岡、宮城野原に配置された。 明治、大正、昭和の戦争の度に出征している。平時に、朝鮮や満州に駐箚師団として派遣されたこともある。
(第二師団隷下の部隊はこの他に、会津若松や新潟県の新発田におかれた)
以下は在仙部隊だが、G-26には写真が無い
日中戦争開戦(昭和12年7月)後の9月に、第二師団の留守部隊を基礎にして第十三師団が編制され、その隷下の歩兵第百四連隊(主として宮城県人の後備役を召集)が仙台で編制されたが、ただちに上海戦線に出兵、太平洋戦争終結(昭和20年)まで、中国各地を転戦した。
「宮城百年」(毎日新聞社 昭和43年発行)P120には、宮城県人らで編成され、太平洋戦争敗戦を外地で迎えた郷土部隊として紹介されている。
仙台を衛戍地(えいじゅち)とした陸軍第二師団のおよび第十三師団隷下の部隊の一覧と変遷は、→ 関連資料 G-26「仙台関連陸軍部隊編制の変遷」をみよ。