【解説】G-25 出征・凱旋・慰霊

構成は

軍都としての仙台

東北鎮台 →仙台鎮台 →第二師団
明治4年、全国四鎮台のひとつとして仙台城二の丸跡に東北鎮台がおかれた。その後、明治6年には仙台鎮台、明治21年に第二師団と改称され、以後昭和20年の敗戦まで仙台は日本の軍都の一つでもあった。

師団司令部や各兵営(連隊や大隊)、練兵場が、川内地区や榴ケ岡、宮城野原に配置された。

第二師団の出兵歴

明治の西南戦争や国内治安出動、日清戦争、日露戦争、朝鮮への出動、大正期には青島守備(第1次世界大戦)、シベリア出兵、昭和に入り満州事変、日中戦争、アジア太平洋戦争と戦争のたびに在仙部隊が出征を繰り返した。

第十三師団

昭和12年、日中戦争開戦後まもなく編制された歩兵第百四連隊(仙台、第十三師団隷下)は、同年12年9月から太平洋戦争終結の20年8月まで帰還することなく中国大陸各地を転戦した。

第三十三師団、第四十二師団

「宮城百年」(毎日新聞社 昭和43年発行)P120には、宮城県人らで編成され、太平洋戦争敗戦を外地で迎えた郷土部隊として紹介されている。


部隊の出征・帰還の場面や、戦地で命を落とした兵士の帰還(無言の凱旋)、慰霊祭の写真は、宮城県や仙台の歴史をつづる出版物では、ほとんど見ることができない。

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