【解説】F-20-02 政宗騎馬像運搬

藩祖政宗公三百年祭(没後300年)に先立ち、宮城県青年団員たちが資金を集め、青葉山の天守台に建立した。当時の資料によると、正式名称は「政宗卿騎馬像」。(公でなく卿) 原型は宮城県出身の彫刻家小室達に、鋳造は東京・日暮里の伊藤和助に依頼した。

騎馬像は市中行進し、青年団員が青葉山への坂道を引っ張りあげた

完成した像は日暮里から仙台までトラクターで運ばれ、昭和10年5月14日には騎馬像が青年団員とともに仙台市中を行進、大手門を通過したあと天守台までの坂道は青年たちが引っ張り上げた。

参加した千葉久太郎氏(ひさたろう、大正13年生まれ)への聞き取り(1996年、中村光一)によると、「大手門をくぐる際は、兜の前飾?を外して、像を地面すれすれまで下げて通した。また、天守台までの坂をトラクターが登れず、トラクターの前に綱をつけて見物人も加わって大勢でひっぱった。」なお、東京からトラクターで運ばれた理由は、像の丈が高く貨物列車ではトンネルをくぐれなかったからと伝えられている。除幕式は三百年祭の行事として5月23日に天守台で盛大に行われた。

「重訂 宮城県郷土史年表」P445 →「昭和10年5月14日、伊達政宗の銅像を青葉城址に宮城県青年団建設す(総工費、4万2550円)」

騎馬像が、金属回収で「出陣」

政宗卿騎馬像は戦時中の金属回収で昭和19年1月22日に台座から離されて「出陣」した(「同年表」P449~500)が、戦後、解体された状態の騎馬像が塩釜の東北ドック敷地内の集積所で発見された。 現在(1996年)は、政宗公の頭部のみが仙台博物館敷地内に展示されている

戦後は一時、平服像に / そして復元

昭和28年10月に、天守台には政宗の平服像(白いセメント製)が設置された(「同年表」P568)が、昭和39年10月、騎馬像が元の原型から新たに鋳造、復元されて元の場所に建立された。(「同年表」P616) 平服像はそれに先立ち昭和39年9月に岩出山城址に移された。(「同年表」P615)

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