【解説】A-05-05  青葉通り

【分類A-05-05】の写真は、1950年(昭和25)頃~1991年(平成3)まで。

仙台市は仙台空襲(昭和20年7月)で広範な中心部市街地が焼失・壊滅したが、「青葉通り」は、戦後の仙台市戦災復興事業で、仙台駅前から焼失地域を東西に貫き大橋へつながる新たな幹線道路として生まれた。

長さ1.5km、幅員は、仙台駅前から東二番丁角までが50m、それ以西の西公園までが36m。

駅前から東五番丁西側付近までの青葉通り予定地には、空襲跡に戦後生まれた3つのマーケット(ヤミ市)や無届建築物が集中していたが、昭和24年3月~26年9月にかけて、県と市による数回の強制代執行で取り壊され、50m幅の用地が確保された。(「戦災復興余話」P45~49)

車道は、当初は側方分離帯2本により3つに分離され、真ん中は通常の車道、側方分離帯と歩道の間は停車帯および低速車線とされた。 青葉通り1.5kmの築造は昭和22年初め~25年末で完了したが、車道中央部分の9m幅だけのコンクリート舗装が28年度末までかかった。(「戦災復興余話」P50~51)

S40年10月、交通量激増のため青葉通りのグルーンベルト(2本の側方分離帯)が撤去され、中央分離帯1本にまとめられた。(「仙台駅前商店街振興組合の歩み(年表)」)

開通後に歩道や中央分離帯に植えられたケヤキ並木がその後大きく成長し、市街地を東西に貫くグリーンベルトは、定禅寺通りと共に、戦後の「杜の都」を象徴する景観となっている。

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