仙台よみとき用語年表
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アーケード 一番町四丁目買物公園  1954年(S29)ほか  「四丁目買物公園」は、一番町商店街のうち、一番北の「定禅寺通り角から広瀬通り角まで」
 
<第1代以前>
* 1953年(S28)?、「ズック布張り」のアーケードが、三越~森徳横丁角の東一番丁東側のみに完成
 
<第1代>
* 1954年(S29)7月、第1代アーケード完成
* 同年12月11日、南町通り角までを含めた東一番丁通り全体に統一デザインの第1代アーケードが完成(東北初の商店街アーケードだった) 奥行4.5m、屋根は一部可動式、銀色柱、ジュラルミン製、天井に蛍光灯(第1代の特徴は、天井の蛍光灯が道路に対し直角) 
* 翌12月12日、完成祝賀仮装行列挙行
  
<第2代>
* 1970年(S45)12月2日、北振会(森徳横丁角以北)アーケード改築完成
* 1971年(S46)、中央会(森徳横丁角~広瀬通り角)のアーケード改築完成

<第3代>
* 1982年(S57)10月2日、四丁目商店街「アーケードのある買物公園」完成(透明なアーケード、約70本の街路樹) 
「番丁詳伝」P178~179 /「東一番丁連合会 創立五十周年」記念誌P9~10  <ズック布張り> 「市民の戦後史(仙台市)」P73の左側(S28年頃) <第1代>は、99-01422-61 / 第1代完成祝賀仮装行列は、51-0151-02/「新・目で見る仙台の歴史」P178(蛍光灯が点灯したアーケード街) 
アーケード 一番町一番街商店街「ぶらんど~む一番町」  1954年(S29)ほか  「一番町一番街」は、一番町商店街のうち、「広瀬通り角~中央通り(旧・大町通り)角まで」

<第1代>
* 1954年(S29)1月14日、大町通り~広瀬通り間、第1代アーケード完成  (「仙台年表」P229=出典:毎日新聞)

<第2代>
* 1972年(S47)、一番街アーケード改築
* 1979年(S54)9月1日、「一番街買物公園」完成 街路樹・ストリートファニチャーを設置 

<第3代>
* 1993年(H5)7月、一番街アーケード完成 (高さ18mの全天候型高層アーケード「ぶらんどーむ一番町」 がオープン) 
仙台年表」P229/「東一番丁連合会 創立五十周年」記念誌P9~10/「仙台市史 年表」P127、P128/「重訂 宮城県郷土史年表」P571  <第1代>は、99-01822-5818-0922-01/ 「仙台一番町一番街商店街ぶらんど~むのHP」に、第1代、第2代のアーケードの写真あり/「市民の戦後史(仙台市)」P80(第1代アーケード) 
アーケード 一番町・サンモール一番町商店街  1954年(S29)ほか  「サンモール一番町」は、一番町商店街のうち、「中央通り(旧・大町通り)角~南町通り角まで」(戦前からの通称は、「大通り」)

<第1代>
* 1954年(S29)12月2日、第1代アーケード完成

<第2代>
* 1975年(S50)11月20日、大通りアーケード改築完成(高さ日本一)
* 1977年(S52)に大通りアーケード改築 

<第3代>
* 1986年(S61)11月29日、全蓋アーケード完成 
「重訂 宮城県郷土史年表」P575/「東一番丁連合会 創立五十周年」記念誌P9~10/「仙台市史 年表」P118/「続・ 宮城県郷土史年表」P214  <第1代>は、58-0153-11 
アーケード 旧・大町五丁目  1965年(S40)ほか  * 1965年(S40)3月、大町五丁目商店街で完成

<マ-ブルロードおおまち商店街>
* 1977年(S52)7月30日、仙台市中央通り(中央二丁目振興組合、おおまち商店街)の新アーケード完成
* 1982年(S57)6月27日、マーブルロードおおまち商店街ゲート除幕式 
* 1987年(S62)、大理石舗道が完成、
* 1996年(H8)4月、2代目アーケード竣工(第3代か?) 
「仙台市史 年表」P124/「続・ 宮城県郷土史年表」P70、P148/「マ-ブルロードおおまち商店街」HP   
アーケード 新伝馬町  1964年(S39)ほか  * 1964年(S39)12月10日、新伝馬町商店街アーケード完成
* 1964年(S39)、通称「中央通り」の3商店街の中で最初にアーケードが完成 / 大町五丁目、名掛丁の順にあとを追い、三者一体の印象を強めた(「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P116)
<編者注>「重訂 宮城県郷土史年表」P617の、「1964年(S39)12月10日、仙台市名掛丁・新伝馬町・大町五丁目の中央商店街にアーケード完成」は正確でない、大町5丁目は1965年(S40)3月、名掛丁は1965年(S40)12月に完成

* 1977年(S52)7月30日、仙台市中央通り(中央二丁目振興組合、おおまち商店街)の新アーケード完成
* 1991年(H3)5月、中央二丁目商店街振興組合でアーケード改築工事始まる
* 1992年(H4)、新アーケード完成、それと共に商店街名を「クリスロード商店街」と名付ける 
「仙台市史 年表」P123/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P116/「重訂 宮城県郷土史年表」P617/「続・ 宮城県郷土史年表」P70、P271/「クリスロード商店街」HP  22-30(S39年完成アーケード)/「市民の戦後史(仙台市)」P158(S39年12月、中央通りアーケード街) 
アーケード 名掛丁  1965年(S40)ほか  * 1965年(S40)12月、名掛丁商店街アーケード完成

* 1977年(S52)7月30日、仙台市中央通り(中央二丁目振興組合、おおまち商店街)の新アーケード完成
* 1991年(H3)5月、中央二丁目商店街振興組合でアーケード改築工事始まる
* 1993年(H5)、ハピナ名掛丁の新アーケード完成 
「仙台市史 年表」P124/「続・ 宮城県郷土史年表」P70、P271  アーケードがない時代は、22-29と「新・目で見る仙台の歴史」P184(カラー、手前が名掛丁、奥が新伝馬町)/22-30(S40完成名掛丁アーケード) 
アート・スミスの宙返り飛行 宮城野原で公開  1916年(T5)6月14日  アメリカ人飛行士アート・スミスが宙返り飛行で話題をよび来日

仙台でも大正5年6月13日、追廻練兵場で有料公開の予定となり人を集めたが雨天中止 / 翌日、宮城野原で無料公開した 
「新・目で見る仙台の歴史」P155/「仙台はじめて物語」P203/「目で見る仙台の歴史」P157  44-1444-1544-16 
RTO(仙台) 開所~廃止  1945年(S20)~1952年(S27)  米軍鉄道輸送司令部RTO(Railway Transportation Office)は米軍による日本占領時代に駐屯地の最寄駅におかれ、米軍の国鉄側に対する輸送上の要求や駅と進駐軍兵舎(キャンプ)との間の輸送連絡などが主な業務

仙台のRTOは、国鉄仙台駅の北側に隣接しておかれた
* 1945年(S20)9月20日、仙台のRTO開所(宮城、青森、岩手を管轄)
* 1946年(S21)6月21日以降は東北地方と新潟のRTOを管轄
* 1952年(S27)4月1日、廃止(国鉄の自主運行となる)
* 1957年(S32)10月まで、仙台駅北側(RTOの場所)を米軍が占拠 (「仙台市史 続編第1巻」P570) 
16-22(の内容欄、関連情報欄)参照/菅家文英「生活の変わりようをみる昭和の年表」P46/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P570  16-2298-09944-52/「目で見る仙台の歴史」P173 
愛国婦人会 宮城支部創設  1901年(M34)  * 1901年(M34)12月12日、宮城支部創設、事務所を日本赤十字社宮城支部内に併置
* 1904年(M37)1月6日、愛国婦人会宮城支部などにより結成された宮城県連合婦人会が活動開始
* 1931年(S6)12月14日、宮城支部主催「満蒙婦人公演会」開催
* 1939年(S14)3月6日、愛国婦人会宮城支部に於て、婦人報国の赤誠を宣揚す
* 1941年(S16)4月1日、愛国婦人会仙台市連合会、市役所内に事務所を設ける

<大日本婦人会に統合>
* 1942年(S17)2月2日、大日本婦人会結成(政府の婦人団体一体化政策により大日本国防婦人会、愛国婦人会、大日本連合婦人会が統合された)  →項目「大日本婦人会」参照 
「重訂 宮城県郷土史年表」P323、P467/「仙台市史 年表」P91、P92/「市史10年表」P277、P301  「仙台市史 特別編4 市民生活」P455(愛国婦人会秋保村分会の旗、カラー) 
愛の聖母院 設立  1950年(S25)  * 1950年(S25)2月27日、愛の聖母園(少女の町)を、カナダ在住カトリック教徒の浄財により、小田原柳沢に創立  「重訂 宮城県郷土史年表」P540   
アインシュタイン 来仙  1922年(T11)  * 1922年(T11)12月3日、アルベルト・アインシュタイン博士が来仙、東北帝大金属材料研究所などを視察  「仙台市史 年表」P101  「目で見る仙台の歴史」P148に、「アインシュタイン博士と東北帝大理学部教授たち」 
青葉城 石垣損壊  1964年(S39)  * 1964年(S39)6月16日、新潟地震で、仙台は震度5、青葉城址の石垣の一部が崩れる  「重訂 宮城県郷土史年表」P614   
青葉城恋歌 全国的ヒット  1978年(S53)  * 1978年(S53)5月、佐藤宗幸の「青葉城恋歌」がレコード化
* 1978年(S53)11月22日、大ヒットし、佐藤宗幸がレコード大賞受賞
作詞:星間船一、編詩・作曲・唄:さとう宗幸 / キング・レコードから、1978年(昭和53)5月5日にさとうのメジャー・デビュー曲としてシングル発売され、同年6月1日にダークダックスもシングル発売した。さとうはこの年の「第20回日本レコード大賞・新人賞」「第7回FNS歌謡祭・最優秀新人賞」にも選ばれ、さらに『第29回NHK紅白歌合戦』にも初出場を果たした。  
「仙台市史 年表」P131/「続・ 宮城県郷土史年表」P82、P88/Wikipedia「青葉城恋歌」   
青葉城資料展示館 開館  1979年(S54)  * 1979年(S54)4月、仙台城本丸跡に開館  「仙台市史 年表」P131   
青葉神社 認可/本殿完成、鎮座祭  1874年(M7)  * 1973年(M6)、藩祖政宗公の霊を敬うため旧家臣が中心になり願い出て、M7年1月認可、M7年6月25日に県社となる
* 1874年(M7)11月11日、本殿拝殿などが完成、11月16日に鎮座祭

* 1927年(S2)、社殿新築完成
* 1935年(S10)、政宗公三百年祭が盛大に行われた 
「青葉神社」HP/「宮城県百科事典」P5~6/「仙台市史 年表」P80、P81/「目で見る仙台の歴史」P166  99-13299-133/「目で見る仙台の歴史」P166/「いつか見た街・人・暮らし」P26(大正14年5月24日青葉神社祭典)/「目で見る仙台の歴史」P109と「新・目で見る仙台の歴史」P132に「明治15年の青葉神社大祭典神幸式之図」 
青葉神社 神輿渡御復活  1948年(S23)  * 1948年(S23)5月23日、青葉祭 / 春の例祭で神輿渡御が13年ぶりに行われ、あわせて甲冑の武者行列も
* 1961年(S36)5月のゴールデンウィーク、全市あげて青葉神社祭典(武者行列、神輿渡御、相馬浪江の相撲甚句や宝財おどり) 
「仙台市史 年表」P115/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P182、P714  「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P182の写真49/「市民の戦後史(仙台市)」P226(5月の青葉神社例祭の武者行列) 
青葉通り 概要    仙台市は、1945年(S20)7月10日の仙台空襲で広範な中心市街地を焼失したが、「青葉通り」は、戦後の仙台市戦災復興事業で、仙台駅前から焼失地域を東西に貫き大橋へつながる幹線として新たに生まれた

長さ1.5km、幅員は、仙台駅前から東二番丁角までが50m、それ以西の西公園までが36m / 開通時には車道の両端近くに2本の分離帯があったが、その後交通渋滞解消のため取り払い、中央分離帯1本にした / 1965年(S40)に1本化工事着手

<曲直問題>
路線計画策定段階で、東五番丁交差点の前後を10度屈折か直線かで利害対立あり、半年余り紛糾、S23年5月建設院総裁裁定で10度屈折で決着(「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P324~328に詳述) 
「戦災復興余話」P27~P55/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P317~328  14-0799-031など「写真データベース」A-05-05「青葉通り」の写真全部/「仙台市史 続編第2巻(経済文化編)」P762(銀行が立ち並ぶ青葉通り(S40年代前半)/「新・目で見る仙台の歴史」P182(S32年、青葉通り)/同P185(H1頃、俯瞰)/「市民の戦後史(仙台市)」P61(S26年10月、青葉通りと南町通り一帯空撮)/同P108(S32年、雪化粧の青葉通り空撮) 
青葉通り(築造) 築造  1947年(S22)~1950年(S25)末  全長1.5kmの築造は、S22はじめ~S25末で完了  「戦災復興余話」P50~51  「市民の戦後史(仙台市)」P58~59 
青葉通り(築造) 用地確保で代執行  1949年(S24)~1951年(S26)  * 1949年(S24)3月~1951年(S26)年9月、駅前から東五番丁西側付近までの青葉通り予定地には、空襲跡の土地に戦後できた3つのマーケット(ヤミ市)や無届建築物が集中していたが、S24年3月~26年9月にかけ、しばしば市や県による強制代執行で取り壊され、50m幅の用地が確保された  「戦災復興余話」  98-032/「新・目で見る仙台の歴史」P185 
青葉通り(築造) グリーンベルト撤去開始  1965年(S40)  * 1965年(S40)10月5日、交通量激増のため青葉通りの車道の2本の側方分離帯(グリーンベルト)を撤去開始 / 新たに中央分離帯1本のみとした  「仙台駅前商店街振興組合の歩み(年表)/「仙台市史 年表」P124/「重訂 宮城県郷土史年表」P621  ・側方分離帯2本があった頃は、「市民の戦後史(仙台市)」P240(国分町通り交差点付近の青葉通り)/ ・中央分離帯1本のみは、22-05 
青葉通り(舗装) 車道中央部分の舗装  1949年度(S24)~1953年(S28)  * 1949年度(S24)、車道の中央部分(幅9m)の舗装、失業対策事業で開始
* 1950年度(S25)、国庫補助で本格的な舗装開始
* 1953年(S28)年末、中央部分のコンクリート舗装が完了 
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P404/「戦災復興余話」P50~51  98-04898-03022-07 
青葉通り(植栽) 枝垂れ柳、ケヤキを植栽  1950年(S25)~1966年(S41)  * 1950年(S25)4月3日、植樹式(ケヤキ植え初め式)
「東五番丁~西公園間」の両側歩道に計180本のケヤキを植えたが、このうち50本は市会議員全員により市に寄付されて東三番丁~国分町間の歩道に植えられた

* 1950年(S25)末から、しだれ柳植栽
「仙台駅前~東五番丁間」の歩道には、S25年末から100本のしだれ柳を植栽した(写真14-07)
 
* 東二番丁通りとの交差点付近の青葉通りの車道にあった分離帯(グリーンベルト)には、高麗芝を地にしてシュロなどを植えていた(写真50-01) /  その後、生育が悪くなり、トウカエデを植える→その後、ケヤキに

* 1966年(S41)、青葉通りの植栽が完了 
「戦災復興余話」P51~P53/「仙台市史 年表」P116、P125

座談会「仙台 戦中戦後を語る」 
14-0718-2114-0122-17201-1150-01/「仙台市史 特別編4 市民生活」P163(S26年、ケヤキ植栽セレモニー) 
青葉まつり 開始/復活  1956年(S31)~1967年(S42)
/ 1985年(S60)~ 
* 1956年(S31)5月24~26日、第一回 / 青葉神社の例祭にあわせて開催
* 1964年(S39)5月、仙台市立第一中学校の生徒らによる「雀踊り」が登場
* 1968年(S43)から、交通事情変化などを理由に行われなくなる

* 1985年(S60)4月27日~6月2日、伊達政宗公三百五十年祭青葉まつり開催(没後350年にあたり、祭り復活)
* 1987年(S62)5月10日、青葉祭りで、藤崎デパート前と東宝ビル前に、高さ10mの山鉾を復活 
「仙台市史 年表」P119、P126、P133/「重訂 宮城県郷土史年表」P581  「目で見る仙台の歴史」P190(青葉まつりパレード) 
青葉山 国天然記念物に指定  1972年(S47)  * 1972年(S47)7月11日、国の天然記念物に指定される
   → 項目「青葉山植物園」参照
* 1981年(S56)10月21日、青葉山の遊歩道完成 
「仙台市史 年表」P128/「続・ 宮城県郷土史年表」P134   
青葉山公園 開設  1925年(T14)/1954年(S29)  仙台市が管理している都市公園 / 青葉山の東端から広瀬川右岸にかけての40.6haで、仙台城(青葉城)の跡地の一部やその堀であった五色沼、長沼を園内に含む

* 1925年(T14)10月、第二師団より大手門等を含む2,957坪を借地し、仙台市青葉山自然公園とし、大手門への出入り自由となる(「仙台城」P233、「重訂 宮城県郷土史年表」P399)
* 1925年(T14)10月、仙台市が、仙台城の大手門を含む2957坪を青葉山公園として開設(「仙台市史 年表」P103)

<戦後>
* 1945年(S20)9月、連合国軍(米軍)が第二師団の敷地を接収したために青葉山公園は事実上の休園状態
・ 米軍が二の丸跡に、米軍人軍属の住宅、クラブなど建築、二の丸遺跡は徹底的に破戒され、三の丸巽門(櫓門)破却、中島池、奥方庭園池泉、藩主居間前庭の瓢箪池、中奥外の濠、筋違橋付近深谷みな埋め立てらる(「仙台城」P235)
* 1950年(S25)10月、護国神社が、本丸一帯の国有地の払い下げを受ける(「仙台城」P235)
* 1954年(S29)2月、護国神社所有地本丸の一部、2万0933坪を仙台市管理に移し、五色沼、長沼一帯国有地1万2643坪を加え、3万3576坪を公園地とす(「仙台城)」P236)
* 1957年(S32)9月、仙台市が五色沼、長沼を浚渫(「仙台城)」P236)
* 1954年(S29)4月1日、青葉山公園が川内に開園(再開)
* 1955年(S30)、追廻を公園地に編入(「仙台城)」P236)
* 1961年(S36)10月、仙台市博物館開館(三の丸跡に)
      → 詳細は、項目「仙台市博物館」参照
* 1964年(S39)8月18日、宮城県スポーツセンターが青葉山公園内に開館(1万人収容、東北一の規模)
* 1991年(H3)月日、仙台国際センターが開館
      → 詳細は、項目「仙台国際センター」参照
* 2015年(H27)、仙台市地下鉄東西線国際センター駅開業 
「仙台城(仙台市教育委員会 昭和42年刊)」P233、P235、P236/「重訂 宮城県郷土史年表」P399/「仙台市史 年表」P103、P118、P123/Wikipedia「青葉山公園」(2019年6月)   
青葉山植物園 開設  1958年(S33)  * 1958年(S33)11月15日、東北大学理学部附属青葉山植物園開設~仙台城址背後の御裏林(おうらばやし)、通称青葉山と呼ばれる丘陵地~
* 1959年(S34)4月から一般公開
* 1972年(S47)、植物園としてはわが国で初めて天然記念物に指定 
「重訂 宮城県郷土史年表」P588/「仙台市史 年表」P120/東北大学植物園HP  「市民の戦後史(仙台市)」P105(青葉山植物園俯瞰) 
青葉山遊歩道 完成  1966年(S41)  * 1966年(S41)12月6日、広瀬川沿いの青葉山遊歩道(580m)完成  「重訂 宮城県郷土史年表」P628  「市民の戦後史(仙台市)」P183 
秋保電鉄 秋保石材軌道開通  1914年(T3)  * 1914年(T3)12月23日、秋保馬車軌道、長町~湯元(後の秋保温泉)間16キロが開通 / 秋保石(凝灰岩の一種)と旅客の輸送が目的 / 箱型の客車を馬が曳いて走った  「重訂 宮城県郷土史年表」P353/8「仙台年表」P189/「仙台市史 年表」P97 /「仙台きょうはなんの日」P201  22-45 /「思い出のアルバム仙台」(カルダイ社 1980年刊)P51/「目で見る仙台の歴史」P156と「新・目で見る仙台の歴史」P147に「秋保馬車軌道」/同P156(秋保石の運搬) 
秋保電鉄 秋保石材電気軌道/秋保電気軌道(通称、秋保電鉄)/仙南鉄道秋保線/秋保線廃止  1922年(T11)/1925年(T14)/1959年(S34)~1961年(S36)  * 1922年(T11)10月29日、秋保石材軌道株式会社が株式会社と改称
* さらに、T14年1月12日に秋保電気軌道株式会社と改称
* 1925年(T14)6月13日、電気鉄道に切り替え(全線の電化と軌道拡幅が完成し電車に)

<バスも運行>
* S24年4月に長町~鈎取、S26年4月に長町~秋保温泉、同8月に仙台駅前~秋保温泉など、S33年までに順次6路線運行開始(「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P601)

<仙南交通秋保線>  
* 1959年(S34)7月3日、仙南交通自動車と合併し、仙南交通となる(鉄道は仙南鉄道秋保線と改称)
* 1961年(S36)5月7日、秋保線廃止、長町駅から「さよなら列車」運行 
「仙台市史 年表」P101、P102、P103、P121、P122/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P600~601に、旧秋保電鉄、旧仙南交通自動車、仙南交通について記述あり/「重訂 宮城県郷土史年表」P591/  「仙台市史 特別編4 市民生活」P527(S14年、沿線の様子を伝える秋保電気軌道リーフレット) /さよなら電車(S36年5月)は、22-09、「市民の戦後史(仙台市)」P124)/「新・目で見る仙台の歴史」P187 
愛宕大橋(広瀬川) 開通  1975年(S50)  愛宕上杉通り(国道286号)の広瀬川にかかる橋 / 青葉区土樋(つちとい)と太白区越路(こえじ)とを結ぶ / 橋の南詰が愛宕上杉通りと広瀬河畔通りとの境目

* 1975年(S50)10月1日、開通(交通渋滞緩和のため、愛宕橋のやや上流に建設、長さ228m、幅26m) 
「仙台市史 年表」P130/「続・ 宮城県郷土史年表」P45/Wikipedia「愛宕大橋」   
愛宕堰 完成  1954年(S29)  広瀬川の河川改修にともない完成 / 愛宕堰は広瀬川から、七郷堀(農業用などの幹線水路)への取水口  「仙台市史 年表」P119   
愛宕橋(広瀬川) 吊り橋開通  1901年(M34)  * 古くは誓願寺渡し
* 1901年(M34)に吊り橋(仙台初)
* 1903年(M36)2月11日、架設
* 1912年(M45)に大水害で流失、 その後は、幅1間の板渡し 
「仙台市史 続編1 行政建設編」P409~410に愛宕橋の記述/「仙台あのころこのころ八十八年」P240/「仙台市史 年表」P92  「仙台市史 特別編4 市民生活」口絵図100(つり橋) 
愛宕橋(広瀬川) 木造橋  1916年(T5)  * 1916年(T5)8月、レンガのピアノ木造橋となる
(「重訂 宮城県郷土史年表」P362では、愛宕橋、霊屋橋の竣工は、T4と記載) 
「仙台市史 続編1 行政建設編」P409~410に愛宕橋の記述/「仙台年表」P190/「重訂 宮城県郷土史年表」P362  99-110 
愛宕橋(広瀬川) コンクリート橋  1935年(S10)  * 1935年(S10)6月、上部を失対事業でコンクリート橋に架け替え / 橋長93.42m、橋幅8.9m、歩車道の区別あり / 「仙台市史10 年表」P285では、S10年5月20日架換工事竣工、式典挙行(出典:仙台市報)と記載  「仙台市史 続編1 行政建設編」P409~410に愛宕橋の記述 /「重訂 宮城県郷土史年表」P445/「仙台市史10 年表」P285   06-05/「仙台市史 特別編4 市民生活」口絵図101~102(S40年、H8年カラー) 
アメリカシロヒトリ防除 防除開始  1967年(S42)  * 1967年(S42)7月2日、防除本部設置し駆除開始(アメリカシロヒトリが、八木山、北山、東仙台など郊外にも広がる)  「重訂 宮城県郷土史年表」P633   
ありのまま舎 設立  1970年(S45)  * 1970年(S45)、任意団体「ありのまま舎」設立
* 1975年(S50)、映画「車椅子の青春」制作/第1回日本赤十字映画祭長編部門最優秀賞受賞
* 1982年(S57) 映画「続・車椅子の青春(忘れられた一日)」完成
* 1986年(S61)、社会福祉法人ありのまま舎設立
* 1987年(S62)、身体障害者自立ホーム「仙台ありのまま舎」開所(西多賀4丁目) / 4月5日、入居式
* 1989年(S64)、付帯施設「障害者自立センター」開所
* 1999年(H11)、第1回「ありのまま舎自立大賞」設立(以後毎年開催)
* 2013年(H25)、県南ありのまま舎、名取ありのまま舎(相談支援事業)開設
このほか、製作映画、出版、受賞など多数あり 
「社会福祉法人ありのまま舎」ホームページhttp://www.arinomama.or.jp/menu1_2.html  
/「続・ 宮城県郷土史年表」P153、P221 
 
安保反対闘争(1960年) 60年安保闘争・仙台の動き  1960年(S35)  <「仙台市史 特別編4 市民生活」P540「安保反対運動」より転記>

* 1959年(S34)3月、安保改定阻止国民会議結成
* 1959年(S34)4月、第1次全国統一行動 / 翌年10月まで23回にわたる統一行動

宮城県、仙台市では
・ 宮城県安保廃棄、改定阻止県民会議結成
* 1959年(S34)11月27日の第8次全国統一行動では、宮城県庁前広場大集会とデモ行進
* 1960年(S35)4月23日、東北大学川内と東分校両自治会が、安保問題討論集会(800人規模)、400人の学生が仙台市内で反対署名運動
* 1960年(S35)5月16日、仙台で、衆議院安保問題特別委員会の公聴会 / 県庁前で安保阻止県民会議(労組員、学生ら4000人集会)、安保条約批准反対の請願署名
* 1960年(S35)5月19日、20日未明、衆議院で強行採決
・ 翌20日から強い反対運動展開、宮城県民会議では、国会解散と岸内閣打倒を重点に、総決起大会(6000人)とデモ行進 / 各労働組合が職場集会、東北大学生総決起集会(1500人)とジグザクデモ
* 1960年(S35)6月4日、第17次統一行動 / 「安保条約阻止、岸内閣打倒、国会即時解散県民会議」総決起集会(政党・労組・仙台商工業者連合会・婦人団体・文化団体など1万5000人参加)/仙台市役所前で、安保婦人抗議集会(安保反対婦人協議会)/東北大学では、学生デモと有志教官団(250名)デモが大学本部から県庁前広場まで行進
* 1960年(S35)6月11日、第18次統一行動では、地区ごとの労組や婦人団体による抗議集会後に、県庁前広場に89団体、6500人
* 1960年(S35)6月17日、樺美智子さん県民追悼集会と追悼行進 / 6月18日、「安保批准阻止、岸内閣打倒、国会解散要求県民集会」、東北大学教養部ではストが続き、片平丁本部の学生も授業放棄して集会とデモ、一部学生が自民党県連事務所前に座り込み / 宮城学院女子大・短大有志が県民集会に参加
* 1960年(S35)6月19日、国会で自然承認され、23日に批准書交換 / 7月15日、岸内閣退陣 
「仙台市史 特別編4 市民生活」P540~541  「仙台市史 特別編4 市民生活」P537(S35年、60年安保闘争で広瀬通りをゆくデモ隊、宮城県庁前での統一スト)/同541(安保反対を訴えるマッチラベル) 
安保反対闘争(1960年) 60年安保闘争・学生たちの抗議  1960年(S35)  <「仙台市史 特別編4 市民生活」の「学生運動と仙台」P536より転記>
「1960年(S35)の日米安全保障条約改定反対闘争(安保闘争)では、学生が労働者や市民と広く合流して運動を盛り上げた。特に自民党による国会での強行採決に対する抗議行動には、立場の違いを超えて多くの学生が参加した。仙台では、学生ともに東北大学の教官が抗議デモに参加したことでも注目された。6月15日の国会周辺デモ隊と警官隊との衝突で女子学生樺美智子さんが死亡した事件への抗議デモでは、青葉通りに3000名の学生が集まった。」 
「仙台市史 特別編4 市民生活」P536   
安保反対闘争(1970年) 70年安保闘争・仙台の動き  1970年(S45)  <「仙台市史 特別編4 市民生活」P540「安保反対運動」より転記>
* 1970年(S45)6月23日、安保破棄県民集会(仙台市錦町公園)、社会・共産両党、労働組合、学生など125団体1万1000人参加 / 安保破棄を目指す宮城県学生総決起集会(東北大学構内)には在仙台各大学の学生3000人が集会・デモ行進後、県民集会に合流 / 6・23仙台学労総決起集会(全共闘系、仙台ベ平、反戦青年委員会など2800人)
・このほか、大学のストや討論集会も盛ん
・6月23日、安保条約は自動延長となる 
「仙台市史 特別編4 市民生活」P541   
イールズ事件   1950年(S25)  進駐軍のイールズ博士による「大学制度についてお講演会」開催に反対抗議しデモなど行う(「目で見る仙台の歴史」P186)

* 1950年(S25)5月2日、東北大学生、イールズ博士演説反対闘争開始 / GHQ宮城県軍支部が仙台市警察に対し、職務執行妨害の疑いで、学生4人の逮捕を命じる / 6月5日、学生14名処分(3名は退学、停学、譴責あり)/ 7月6日、学生2名追加処分

<参照> 「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P96~98に、イールズ事件の詳述あり 
「仙台市史10 年表」P323/「重訂 宮城県郷土史年表」P542~543/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P96~98  ・「目で見る仙台の歴史」P186(学内の掲示を見る学生たち) /・「東北大学本部前で学生たち座り込み」は、「市民の戦後史(仙台市)」P62と「仙台市史 特別編4 市民生活」P535と「新・目で見る仙台の歴史」P179に 
遺児の日   1939年(S14)  <戦争遺児代表が靖国参拝 ~軍人援護会、厚生省主催の「遺児の日」~>
* 1939年(S14)8月6日、第1回対面、仙台市からは立町、榴岡、南材木町小学校の遺児6名が選ばれ靖国神社に参拝 / 感想文「社頭に額づく」あり(「仙台市史 続編第1巻」P11~12) / 全国からは戦没者遺児代表(1324人)が父の英霊と対面するため上京、靖国神社へ(日録20世紀1939年)
* 1940年(S15)3月29日、第2回、仙台市から31名、宮城県内から124名が参加 / 全国からは、3191名(男子1634名 女子1557名) 宮城遙拝(聖寿の万歳三唱)、皇后陛下の御下賜品の伝達、朝香宮殿下の御言葉、靖国神社参拝(週刊20世紀1940年)
* その後も回を重ねるごとに人数が増えた 
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)P11~12/「日録20世紀 1939年」P30/「週刊20世紀 1940年」P23   
泉ヶ岳勤労者野外活動センター 開館  1980年(S55)  * 1980年(S55)9月、泉ヶ岳勤労者野外活動センターが開館  「仙台市史 年表」P132   
泉岳少年自然の家 開設  1973年(S48)  * 1973年(S48)6月15日、泉ヶ岳に仙台市泉岳少年自然の家を開設  「仙台市史 年表」P128/「続・ 宮城県郷土史年表」P20   
イズミティ21 開館  1987年(S62)  * 1987年(S62)11月1日、泉市文化創造センター(イズミティ21)開館  「仙台市史 年表」P135   
市場 明治期    * 1880年(M13)12月16日、「長町青物市場」を名取郡の野菜生産農家が開設
* 1881年(M14)10月25日、青物市場が「河原町市場」に一本化され、長町市場は閉鎖される 
* 1892年(M25)6月25日、「長町青物市場」を名取郡茂ケ崎村長町に開設
* 1892年(M25)7月30日、「共同八百屋市場」、河原町・新河原町に開設 
「仙台市史 年表」P83、P84、P88  「仙台市史 特別編4 市民生活」P87(明治期の長町青物市場) 
市場 大正期(公設市場)    * 1919年(T8)9月15日、公設市場として南町通りに「仙台市南市場」、表小路に「仙台市北市場」を開設
* 1920年(T9)9月28日、両市場を閉鎖
* 1920年(T9)12月17日、新たな公設市場として「名掛丁市場」を開設
* 1921年(T10)12月24日、名掛丁市場を閉鎖し、翌日、定禅寺通に「中央公設市場」、清水小路に「南公設市場」、北一番丁に「北公設市場」を開設
* 1922年(T11)8月4日、宮城県公設市場増設し、木町通に「西公設市場」開設  
「仙台市史 年表」P99、P100/「仙台市史10年表」P259   
市場 昭和期    <戦前>
* 1929年(S4)、肴町の「仙台魚市場」と「河原町市場」が卸売市場の開設認可
* 1930年(S5)7月21日、河原町市場が、株式会社「仙台青果市場」として開業
* 1930年(S5)10月3日、「仙台果物市場」開設
* 1943年(S18)1月18日、「仙台鮮魚市場」、東七番丁に完成

<戦後 昭和40年まで>
* 1950年(S25)8月28日、「仙都魚類株式会社の魚市場」開設許可
* 1963年(S38)12月1日、明治25年創設の「長町青果市場」が閉場 
「仙台年表」P208/「仙台市史 年表」P105、P123/「仙台市史10 年表」P275、P324/「重訂 宮城県郷土史年表」P292、P546、P548、P611  「目で見る仙台の歴史」P165に「河原町青物市場」/「市民の戦後史(仙台市)」P146(S38年12月、長町青果市場最後のセリ) 
市場 駅前マーケット    <火災>
* 1949年(S24)3月16日、46戸焼失
* 1953年(S28)1月7日、8棟焼失 
「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P818   
市場 仙台東一公設市場(東一マーケット)    * 1946年(S21)?、「仙台東一公設市場」(東一マーケット)は、戦後、東一番丁通り北部の三越のやや南で、道の東側に面してあった
* 1956年(S31)、鉄筋2階建に改築され、その後も「東一市場」の名で存続

<火災>
* 1951年(S26)2月5日、東一番丁火事(午後1:40頃)により、東一マーケットに延焼 / 17戸全焼 
<火災>
「市民の戦後史」P50/「仙台年表」P221/「重訂 宮城県郷土史年表」P547/「仙台市史10 年表」P325/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P818 
16-3816-39 
市場 仙台中央公設市場(中央マーケット)  1946年(S21)  <開設>
1946年(S21)5月か8月、「仙台中央公設市場」開設、場所は、東一番丁の南部(旧・大通り)、藤崎より南で道の東側
*「仙台中央市場」開設は、
 ・「市民の戦後史」P30のキャプションではS21年5月
 ・ 同P7の年表では、S21年8月
 ・「仙台市史特別編4 市民生活」P91ではS21年8月 →「S21年8月、仙台露天商実業睦組合が、東一番丁から南光院丁に向けて建設した仙台中央公設市場が156店の出店で正式に開場した」

<火災>
*1948年(S23)2月10日
・ S23年2月、東一中央公設市場92戸焼失(「市民の戦後史」P9)
・ S23年2月10日、東一番丁中央市場で火災、95戸焼失(「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P818)
・ S23年2月20日、東一番丁に昼火事あり、東一中央公設市場及南松竹映画館等焼失す(「重訂 宮城県郷土史年表」P525)

*1948年(S23)5月27日
・ S23年5月、東一番丁仙台中央市場72戸焼失(「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P818)
・ S23年5月27日、仙台市東一番丁公設市場、火災で61戸を焼失(「重訂 宮城県郷土史年表」P526)
・ S23年5月27日、約70戸焼失(「仙台市史 年表」P115)
・ 仙台中央市場62戸全焼(「仙台市史10 年表」P318)

*1961年(S36)月日、東一番丁中央市場で、3棟17戸焼失(「仙台市史10 年表」P318) 
<開設>
「市民の戦後史」P7、P30 /「仙台市史特別編4 市民生活」P91/「仙台市史 続編第1巻(行政建設編)」P818

 
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都市型CATV
特急はつかり
特急ひばり
トラックターミナル
名掛丁商店街
仲の瀬橋(広瀬川)
長町駅
奈良原式鳳号
西内楽器店
西公園(桜ケ岡公園)
西本願寺別院(東一番丁)
二十人町
日米野球
ニッカウイスキー工場
日本銀行
日本生命館
日本鉄道
日本農民組合
ネオンサイン
年賀郵便
年中行事(まつり)
乗合馬車
敗戦後の諸相・仙台
廃藩置県(仙台県誕生)
バカンス(流行語)
爆弾三勇士の歌
博覧会・フェア
芭蕉の辻
芭蕉の辻商館
芭蕉の辻の城櫓風建物
芭蕉の辻の洋館
バス
バスプール
バス優先レーン
支倉常長(記念碑/銅像)
発電事業
パテー館
花火大会
針久旅館支店(仙台駅前)
ハリストス正教会堂
藩祖政宗公三百年祭
藩祖政宗公の記念祭
東一番丁(商店街)
東一番丁大火
東一番丁百年祭大仮装行列
東二番丁尋常小学校
東二番丁通り(拡幅)
東日本大震災
光ヶ丘天使園
飛行船「雄飛号」
飛行大会
ひとにやさしいまちづくり条例
ヒトラーユーゲント一行が来県
日乃出映画劇場
ひらつか(東一番丁)
ビル建設
広瀬川の清流を守る条例
広瀬通り
広瀬橋(広瀬川)
プール
フェリー
俯瞰撮影禁止など
福祉ボランティアのまちづくり事業
富国生命館(国分町)
藤崎
フジビール
婦人の社会活動(戦後・仙台)
婦人標準服
物価上昇
二日町大火
復興盆踊り
仏舎利塔
ブラザー軒
文化キネマ/文化劇場/仙台松竹映画劇場
文学碑など(仙台)
文化勲章
文化財指定
文化横丁
兵役制度
米軍進駐
ベガルタ仙台
ペデストリアンデッキ
ヘレンケラー女史
奉安殿
防空演習
ポケットベル
歩行者天国(東一番丁)
ホテル
歩兵第4連隊
歩兵第104連隊
政宗卿騎馬像
政宗卿平服像
松島座/パテー館/仙台日活館/仙台日活劇場
松永正敏中将
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マナスル登頂成功
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