| 営業期間 | <開業>大正15年11月 ~ <全路線廃止>昭和51年3月 | ||||
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| 仙台市電 | 仙台駅前~大町1丁目 / 東五番丁~荒町 | 開業 | 1926年(T15)11月25日 | 1926年(大正15)、仙台市電が初開通(仙台駅前~大町1丁目間2.1キロ、東五番丁~荒町間1.2キロ) | 「昭和史とともに 仙台市電 その50年」/「文集 仙台市電 市民が綴る五十年の軌跡」 |
| 1926年(T15)11月25日 | 開業時にすでに、始発駅の仙台駅のやや北にある、名掛丁角まで軌道が敷かれている | 「昭和史とともに 仙台市電-その50年」P166 | |||
| 大町1丁目~大学病院 | 開通 | 1927年(S2)4月1日 | 1.2キロ/環状線の一部区間 | 【「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P187~189】と【「文集 仙台市電」末尾年表】 仙台市電(各路線)の開通日や廃止日がわかる | |
| 仙台駅前~光禅寺 | 開通 | 1927年(S2)11月24日 | 0.7キロ/駅から駅前電車通りを北へ向かう路線/環状線の一部区間 | ||
| 光禅寺~県庁前 | 開通 | 1927年(S2)2月25日 | 0.9キロ/環状線の一部区間 | ||
| 環状線 | 完成 | 1928年(S3)3月28日 | 県庁前~大学病院間(1.7キロ)が開通し、これで環状線全線(6キロ)が完成/西公園において開通式挙行 | ||
| 芭蕉の辻線 | 開通~廃止 | 1928年(S3)4月8日~1944年(S19) | 0.3キロ/市電南町支線(通称・芭蕉の辻線)/「芭蕉の辻」が終点/ 昭和3年4月8日開業~昭和19年廃止 | ||
| 長町線 | 開通 | 1933年(S8)~ | 4.2キロ/荒町以南、長町までが昭和8年~昭和11年にかけ徐々に延長開通 | ||
| 北仙台線 | 開通~廃止 | 1937年(S12)~1969年(S44) | 1.2キロ/昭和12年10月26日開通~昭和44年廃止 | ||
| 八幡町線 | 開通 | 1941年(S16) | 1.6キロ/昭和16年開通 | ||
| 原の町線 | 開通 | 1948年(S23) | 3.3キロ/昭和23年開通 | ||
| 全路線 | 廃止 | 1976年(S51)3月31日 | |||
| モハ1型 | 導入 | 1926年(T15)~1934年(S9) | 車両モハ1型は大正15年~昭和9年に導入、このうち7号は昭和39年10月に廃車 | 市電の各型の使用期間は、【「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P180~181 | |
| バス | 仙台市街自動車 →市バス | 仙台にバスがお目見得したのは、大正元年10月18日、清水小路(現・五橋五丁目)の菊地道三郎所有のもの。 次いで大正8年7月7日、伊勢久次郎を社長に、本格的なバス会社、仙台市街自動車株式会社が発足した。 民間経営のバスは昭和17年買収されて市営バスとなった。 | 逸見英夫著「仙台はじめて物語」P197 | ||
| 市街自動車KKが大正8年8月創設された。当時最優秀車と折紙つけられた「ガフォードトラック号」が仙台駅を中心として大学病院、長町方面に運転された。これが仙台市内を走った最初のバスである。この会社は昭和17年に「市バス」となるまで、懐かしい「銀バス」の愛称で、長い間市民の足となっていた。 | 「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P86 | ||||
| 木炭バス | (戦時体制の1つとして)ガソリンの配給制度が強化され、・・・・・苦肉の策として木炭や薪からガスを発生させる代燃装置が考案され、これがバスに取り付けられた。 市バスもこの木炭を確保するため、根白石方面に山を買い、直営で炭焼きをやって毎日のバスの運行を確保した。昭和14年には、初めての代燃装置をつけた木炭バスが仙台城址入口の登坂テストに成功した。 | 「昭和史とともに 仙台市電 その50年」P90 | |||
| キャブオーバー型バス | 仙台市では昭和23年に(ボンネット型でない)キャブオーバー型バスが登場している。 | ||||