【関連資料】I-34 服装・風俗(戦前)
戦時下の衣服 「仙台市史 特別編4」の「市民生活」P27より要約) 国民服令
(勅令)
昭和15年11月2日 公布 <男性> 昭和15年、国民服(軍服に似たカーキ色で5つボタン)が制定され、1着で仕事着、日常服、礼服を兼用できた。  /  <女性>モンペの着用が奨励され、着物の裾をモンペで包んだ。女学校生徒もモンペ姿で通学。
毎日新聞社「昭和史事典」P132より 「国民服は、戦時下の衣装簡素化のため制定された、軍服をモデルにしたカーキ色(国防色)服。甲型は背広に代わるもの、乙型は青少年向き。いずれも儀礼章をつければ礼服にも使用できた。国民帽も、烏帽子型と戦闘帽型の2種あった」
「仙台市史 特別編4」の「市民生活」P27より要約) 戦時衣生活簡素化実施要項 昭和18年 昭和18年の「戦時衣生活簡素化実施要項」(閣議決定)により、<男性>は、国民服とゲートル、(背広、ダブルの外套、合着の新規仕立ては廃止) / <女性>は防空頭巾とモンペ、婦人標準服の普及が図られた。 / 和服は、<男性>は筒袖、<女性>は元禄袖で、長袖は禁止 /
戦時下、学生・生徒の制服  「仙台市公報 第198号」(昭和18年7月1日) より抜粋 <男子> 中等学校以上の制服、新規仕立ては国民服乙号、外套は国民服用外套に決められた。 <女子>専門学校以上は、婦人標準服。  / 学園は全く決戦一色の質素なものとなりました。 ・・・いつ如何なる時に警報が鳴り響いても、空襲されても直ちに部署につける服装で、この戦争を勝ち抜く心構えを持つべきであります。
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