第二師団
仙台に司令部をおいた陸軍「第二師団」(司令部と隷下の各部隊)は、明治・大正・昭和の 戦争では例外なく外地へ出兵している。
第十三師団歩兵第一〇四連隊
日中戦争開始時に編制された連隊(第十三師団隷下)で、日中戦争、太平洋戦争終結まで帰還することなく、中国各地を転戦した。
【仙台市史 特別編4「市民生活」P312】 →「昭和12年、第二師団の留守部隊を基礎にして、かつて日露戦争後に急増され軍縮によって廃止されていた第十三師団が再編成された。これに属し、主として宮城県人の後備役を召集した歩兵第一〇四連隊は8月( →注)には上海に送られている」
(中村注:8月は間違い →上海出兵は9月が正しい)
第三十三師団
日中戦争開始、3年目の1939年(S14)3月に編制、中国戦線に投入。太平洋戦争開戦後は南方に転用された。
【戦争のころ 仙台、宮城」(石澤友隆著)P31~32】 →「日中戦争で、中国に派遣された郷土部隊は第二師団、第十三師団、第三十三師団の三個師団。第三十三師団(甘粕重太郎師団長)は1939年中国中部に派遣、宇都宮と仙台の部隊で構成していました。」
第四十二師団
太平洋戦争中の1944年(S19)2月、仙台において臨時編成。その後、中千島の得撫島(ウルップトウ)に移動、1945年(S20)4月、稚内に移駐。
参考
在仙各部隊の編制年、出兵・転戦の記録は、以下の年表に詳しい。
「宮城県史7(警察)~昭和35年、宮城県発行~」のうち、P685~715の「仙台部隊関連年表」(一部に誤記あり注意)
在仙部隊の出征・帰還の写真は、ほとんどない
在仙部隊の出征や帰還の映像(写真)は、仙台関連の文献や写真集でもほとんど見当たらない。 → 関連情報 G-25(出征・凱旋・慰霊)を見よ。
G-25-02には、多門師団凱旋(昭和8年1月)の写真がある。
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