宮城県庁は、はじめは藩政時代の藩校「養賢堂」[98-051](勾当台通り)に置かれたが、大正4年には隣接地に木造2階建ての新庁舎 [99-007] が出来て移転、昭和6年にはRC構造の洋館(3階、一部4階)[99-008] となり戦後も使われたが昭和61年に解体され、平成元年からは、18階建てのビルとなった。養賢堂は、仙台空襲(昭和20年7月)で焼失した。
「宮城県の百年」P51には、昭和6年当時の県庁付近平面図があり、県庁舎と養賢堂、その南側にあった商品陳列所や宮城県図書館、衛戍病院、仙台警察署の位置関係がわかる。
→ 分類C-08-01の写真(写真番号 [98-055])は、その平面図「県庁構内と付近の建物配置図(昭和6年)」の接写。