C-2 仙台駅前 | T.Y. さん
<駅前、相馬屋食堂>
この写真
04-01 の正面右手の相馬屋食堂が祖父(又二郎)の持ち物だったらしいです。 根拠としては、祖父が生前、母に、「昔仙台駅の今の第一ビルの所に土地を持っていた」と言っていたことと、私が小学生の頃、祖父に、「今の第一ビルの所に、俺は3階建てのビルを持っていたが、戦時中に高いビルがなく、俺のビルのあたりが目立った為、B-29に爆弾を落とされ、その保険金として500円もらった。 そしてこの500円で、今の中央通りのデンコードー(旧小松電気)を買って半地下を作ってバナナを沢山保管し(緑色のバナナを買ってきてむして売る)、夏はスイカを切り売りし、1枚20円で売ってよく売れた」など良く聞かされていた。
その後、祖父は宮城野原に友人と3人で、仙台卸売市場の問屋の組合「宮果」というのを作ったと聞かされていました。 ですから第一ビルの所も果物屋をやっていたと思いましたが、親せきの人が言うには、食堂だと言われ半信半疑でしたが、本日この写真を見て、(食堂だったとわかり)疑問が解けました。 その食堂の名前の由来は、おじいちゃんの故郷が福島県相馬市中村というところなので相馬屋食堂とつけたのとすべて納得しました。